名前の由来について
この写真の山のように、「広く大きな心を持った人なってほしい」という願いを込めて「遼」と名付けてくれたそうです。
名前の由来を改めて父に聞いてみると、こっぱずかしいのか詳しいことは教えてくれませんでしたが、冗談めかして「″理想香る子”やぞ?ええやろ?(笑)」と言っていました。
ところが、「ママの『久美子』って名前の少し古風やけど可愛い響きが好きやから三文字の最後に『子』をつけたかった。」と父が語っていたということを母から聞き、とても心温かくなりました。
「怜央」という名前は、僕の母親が名付けてくれたものです。この名前には、優しくて賢明で、世界中で活躍して欲しいという親の願いが込められているんです。
そんな想いが込められた「怜央」という名前が僕は大好きですし、吉数の13画であるということも気に入っているポイントです。
小学校の頃、「ジャングル大帝レオ」というアニメを見て、自分と同じ「レオ」という名前なのが嬉しかった記憶があります。そして最初のころはジャングル大帝レオのようなたくましさや強さにあこがれを抱いていました。
ところが、ある時期を境に、自分自身の性格とのギャップを感じ、逆に「レオ」という名前であることにプレッシャーを抱くようになりました。
自分はアニメのキャラクターのような「たくましさ」や「強さ」のある人間ではない・・・
そんな葛藤を抱いていた小学校の高学年頃、母親から「名前の由来」を聞く機会がありました。
はじめて「レオ」という名に込められた意味を知った時、響きは同じ「レオ」だけど、「怜央」という名前に込められた想いは、僕だけのものなんだ。
他人やアニメのキャラクターと比較する必要もないし、同じでなくたっていい。ジャングル大帝レオのようなたくましさとは違っているけれど、僕には優しさがあり、人から好かれるところがある。
「僕は僕で素晴らしい」。そう思えたことで、「怜央」という名前=自分自身がしっくりきました。
僕の夢は、世界で活躍する「カーデザイナー」になることです。
当時から、カーデザイナーになりたい。しかも、ヨーロッパで活躍し、世界をまたにかけるカーデザイナーになりたいという夢を描いていました。
実は、この夢を描き始めたのは、名前の由来を知る前のことでした。
だから名前の由来を知った時、僕の夢と親の想いが重なっていて、とても嬉しかったです。
「央」という字に込められた「世界の中心で活躍できる人になってほしい。」という親の願いが、僕の人生のあと押しになっています。
いつもありがとう。感謝します。
私にとって名前とは、「運命の糸」です。
今の主人と結ばれて、子供たちと幸せな毎日をおくれているのも、「康」という名前が結んでくれた運命だと思っています。
というのも、持病持ちだった母が、娘には健康になってほしいという強い願いや、出産のときに難産だったため、健康第一で育って欲しいという想いがあったそうです。
妹も2文字なのに、なんで自分は3文字?
しかも、「康」っていう漢字が男っぽくて嫌だ・・・
中学校に入学し、「やっち」というあだ名で呼ばれ出したことが嬉しかったです。
このあだ名は自分でも気に入っていて、高校に入学して、新しい交友関係の中でも、「このあだ名で読んでほしい」と仲の良い友達たちに言っていたくらいです。
交友関係に恵まれていたこともあって、仲の良い友人から呼ばれる「やっち」というあだ名を通して、自分自身を受け入れることができていたのだと思います。
そんなこんなでハッピーな日々を過ごしていた高校時代のある日、
同じ高校に通っていたある男子に、「康という字が男の人の名前っぽいね」と言われたことで、再び「康」コンプレックスに陥るのでした。
その男性と食事をすることになり、
はじめて下の名前を言い合ったとき、
「さおり」という響きは気にいっていましたが、
「佐央里」という当て字のような漢字には、小さい頃からその由来に疑問を感じていました。
小さい頃、父に尋ねた際、
「本当はさおりの”佐”は”沙”にしようと思っていたんだよ。」
(へぇ~)
「でも、役所でその年、”沙”という漢字は名前に使えないって言われてね。」
(えっ?そうなの??)
「急遽、その場で”佐”に変えたんだ。ちょっと重くなっちゃったから”理”も”里”に変えてね。」
(ちょっと、ちょっと! それでいいの??)
「お母さんにそれを帰ってきて伝えたら驚いてたよ。」
(それはそうでしょう!!)
と笑い話のように言われました。
(実際、”沙”が命名に使用できなかったという事実確認はできていません・・・)
形式にはあまりこだわらない父なので、
「父らしいなぁ」と半分あきれかえって聞いていたのを覚えています。笑
そして、だいぶ大人になった今、自分の名前と向き合う機会があったので、
改めて父にも、私の名前について聞いてみました。
すると、父からは意外な返事が!
「実はね、自分の好きな作家さんが、娘に”麻央”って付けてたんだ。」
「だから、自分もその漢字を使いたいと思って。」
結果、姉の名前は「”麻”由美」、次女の私の名前は「佐”央”里」となったそうです。
(苗字が「江口」で、割と重くない苗字なので、名前は3文字の重みがあってもバランスがとれると思ったそうです)
父は、普段おとなしく、あまり自分のことを話しませんが、
昔から本や音楽が好きで、感性豊かな一面もあり、独創的な世界観があるように見えていました。
大学在学中も、学生運動で勉強もまままらず、本意ならず大学を中退したと母から聞いていました。
そんな多感な時期に出会ったのが、その作家さんなのかもしれません。
それゆえ、私たちの名前にも意外なこだわりがあったようで、
私はもちろん、隣で聴いていた母も「初耳!」と驚いていました。笑
(というか、こだわっていたのは「央」の方だったのね、姉の名前とも繋がっていたなんて… ということも、発見でした。笑)
昔から仕事熱心な父の背中を見て、早く社会に出て働きたいと思いつつ、
いつも家で温かく迎えてくれる母のように、母性豊かな人になりたいとも思って生きてきました。
私自身、少し内面的な個性が強い方なので、父がどんな思いで”沙”を”佐”に置き換えたのかはわかりませんが、
あまり見かけない、ちょっと個性的なこの「佐央里」という名前に、今はとても救われていると感じることが多いです。
自分らしく。私らしく。
だってそんな個性的なところこそが、「わたし」だから。
自分の在り方やこれから向かう方向へ、迷う時も悩むこともある人生だからこそ。
ちょっと個性的な自分の名前やその由来が、「それでいいよ。」とあと押ししてくれているような気がしています。
実は大人になった今でも、両親や兄弟、親戚からは「チャオ」という愛称で呼ばれています。
旦那さんにも「チャオ」と呼ばれ、姪っ子達にも「チャオちゃん」と呼ばれている現状。
「”さおり”あるある」なことなのでしょうが、いい歳になってこれで良いのか…とのちょっぴり葛藤した時期もありました。
でも、今となっては「チャオ」と愛情を込めて呼んでくれる人たちがいるという、その心地よさを、より一層嬉しくありがたく感じています。
外では「佐央里(さおり)」という名前で、しっかり頑張って。
中では「チャオ」という愛称で、気を抜いて安らげる。
そういう今を生きられているこの名前に、心から感謝しています。
ウェブコンサルタント(個人事業主) (株式会社ゴンウェブコンサルティング 社外取締役) 前職はシステムエンジニア。 2004年より株式会社ゴンウェブコンサルティングに勤務後、個人事業主として独立。 主に戦略を落とし込んだウェブサイトの実現を支援(ディレクションを担当)。
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