2015年、当店は創業123年、福井県鯖江市出店30周年、そしてインターネット販売15周年を迎えました。その感謝の気持ちを形にして地元の皆さまにお返しをしたいと考え、かわいいレッサーパンダのゴム印スタンプ「ほめほめスタンプ」と、LINEスタンプ版「さばえレッサーパンダLINEスタンプ」を制作しました。
「ほめほめスタンプ」は福井県鯖江市のマスコットキャラクター・レッサーパンダの「ウルウルちゃん」と「メガメガくん」が、「できたね!」「がんばったね!」とほめ言葉をなげかけるスタンプです。イラストデザインと言葉の選定は、地元福井市の仁愛女子短期大学生活環境専攻の学生さんたちにご協力いただきました。
最初のプランでは単に「もっとがんばろう」「よくできました」という五段階評価の言葉のゴム印にする予定でした。元小学校教論で『パーソナルポートフォリオ』の第一人者である岩堀美雪先生にご意見をいただくなかで、「子どもはほめられると自分に自信が持てるようになる。自分に自信が持てれば前向きになれるし、人にも優しくなれる」というお話しを伺い、評価するのではなく子どもたちの頑張りを認めほめる言葉にあふれたものを、とのアドバイスをいただいたのです。
〝前向きな一歩を踏み出せるよう応援する〟ことは、小林大伸堂が日ごろから大切にしている想い、姿勢に通じます。そこからほめる言葉がたくさんそろった「ほめほめスタンプ」が誕生することとなりました。
2015年2月に、小学校の子供たちが前向きに元気にすくすく成長していただける一助になればとの思いから、「ほめほめスタンプ」を鯖江市内の小学校低学年全クラスに寄贈し、福井県内の小学校にも100組分を無料提供させていただきました。
「ほめほめスタンプ」の取り組みはテレビや新聞などでご紹介いただき、「子どもたちだけじゃなくて会社でも使わせてほしい」「老人ホームで使いたい」「孫の宿題に押してあげたい」など、たくさんのうれしい声をいただきました。予想外の大きな反響に驚くと同時に、地域の皆さまに喜んでもらえるものをというこのような地域還元の取り組みが、私たちの喜びにも繋がるということを再認識いたしました。
小林大伸堂ではこれからももっと楽しい「ほめほめスタンプ」を制作していく予定です。今後も「印(しるし)をとおして しあわせを」たくさんの皆さまにお届けできますよう努力してまいります。
■「ほめほめスタンプ」のご注文はこちらのページをご確認ください。
※収益の一部を地域貢献事業等に寄付させていただく予定です。
2014年より鹿児島県南九州市頴娃町(えいちょう)の製材業者の方に委託して、薩摩本柘植の植樹・栽培のお手伝いを行っています。
本柘植(ほんつげ)は木製の印材として古くから広く愛用されています。しかし近年、タイやカンボジアなどから輸入された、柘植に似た安価な木材〝アカネ〟が多く流通していることもあり、柘植材の質の低下が見られています。
そこで4代目・小林照明が、自分の目で見て納得した素材のみを仕入れるため、柘植の産地・鹿児島県南九州市頴娃町(当時は鹿児島県頴娃町)を訪ねたことがきっかけでした。
薩摩地方では200年ほど前から農家と製材業者が計画的に柘植の植林を行い、櫛(くし)や将棋の駒、そろばんの珠、近年では印鑑の材料として用いるなど、「柘植のまち」としての歴史と伝統を守り続けています。苗木を育てる農家、さし木をして7、8年経ったものを畑に植え育てる農家、そして製材する業者とが一体となり、20年ほどのサイクルですべてを植林にてまかなっています。
輸入されているアカネ木材は、自然木を切り倒して加工しているため、自然破壊・森林破壊につながってしまいます。その点、頴娃町ではすべて植林ですから、自然環境を壊すことなく良質な本柘植材を安定して供給することができるのです。
植樹から製造加工まで一貫した自然にやさしい取り組みに共感するとともに、日本のすばらしい伝統を次代にも継承していきたいと強く感じ、このときにご縁をいただいた製材業者さんに依頼して本柘植の植樹・栽培のお手伝いを開始しました。
将来的には小林大伸堂専用の植林地を持ち、柘植の印材全てをそこで育った薩摩本柘植でまかなえるように目指しています。
南九州市頴娃町での薩摩本柘植視察の詳しい様子はこちらからご覧いただけます。
小林大伸堂のルーツである福井県越前市粟田部は、約1500年前、第26代継体(けいたい)天皇が即位前58歳までの長期間在郷されていたことから、多くの神事、伝説、史跡が伝わる歴史に彩られた町です。その粟田部町にある岡太(おかふと)神社は歴史と美しい自然が楽しめる場所です。ぜひ一度遊びにきてください。
神事や祭りの中心になっているのが岡太神社です。
延長5年(927年)頃にまとめられた延喜式神明帖(えんぎしき じんみょうちょう)という全国神社一覧よると、旧今立郡下十四座の中で最も古い社で、当初は玉穂宮(たまほのみや )と称されていたようです。
「男大迹(おおと)の王」(後の継体天皇)が当地の水害を憂い、九頭竜、足羽、日野の三大河川を開かれたとき、「建角身神(たてつのみのみこと)」「大己貴命(おおなむちのみこと)」「国狭槌尊(くにさっちのみこと)」の三柱を奉祀し、岡太神社と号して祈誓されたのが起源といわれています。ちなみに、隣の大滝町にも「岡太神社」がありますが、こちらは「おかもとじんじゃ」と読む異なる神社です。
岡太神社の鳥居をくぐるとまず拝殿が。ほとんどの神事がここで行われます。
本殿があるのは少し上がった見晴らしのいい高台。たくさん立派な石灯籠に囲まれて静かに建っています。
拝殿から本殿へと続く道の途中には神輿殿が。目の前の広場は緑の植物に覆われ、すがすがしい空気が流れます。
3代目、小林勝三はボランティアで神社の清掃、植物の保全に取り組んでいます。
「萊祀」とは「蓬萊祀(おらいし)」または「王位萊祀(おういらいし)」の略。継体天皇が河内国樟葉宮(くずはのみや)にて即位(507年)されたことを祝い、天皇の行幸に擬して神幸の儀を厳粛に行う式典で、粟田部を代表するお祭りです。現在は祭日の2月11日に山車(だし)の曳き回しを行い、13日に萊祀祭を執り行っています。
粟田部町内外から多くの老若男女が参加して引かれる山車は、古代衣装を着た音頭取りの唄で町内巡行に出発します。沿道には幟(のぼり)が立てられ、出迎えた人々が引き回しに参加するため、人の数はどんどんふくれ上がって数百人になることも。休憩所では酒やお茶、豚汁、菓子、果物などを振る舞われ、参道には50数件もの夜店の露天が並ぶにぎやかなお祭りです。
赤い鳥居のあるのが山車です。白い花のようなものは「まゆ玉」と「餅花」。神から授かった物とされ、各家の神棚などに飾られます。
江戸時代の絵を参考にした衣装に身を包んだ3人の音頭取りの「いこまいな〜」のかけ声で、山車はゆっくりと進みます。
地元では一般的に「小判買い」と呼ばれて親しまれているお祭りです。
毎年2月9日午前2時より行われる貨幣交換の神事で、おごそかな祝詞のあと、米粉で作られた黄金色と白銀色の小判を、「10万両、100万両」と景気よく呼び声をかけながら買う風習です。小判を購入した参詣者には、中央に菊理媛、左右に恵比須・大黒様の両像の木版刷りのお札も配られます。小判を自宅の神棚に供えると商売繁盛、家族繁栄が叶うといわれます。近年はこのお祭りに参加するために遠方からお越しになる方も増えています。
毎年10月12日〜14日に行われます。祭りのスタートをきるのは「迹王の餅(どおのもち)」と呼ばれる、継体天皇が大和国盤余玉穂宮(いわれのたまほのみや)に遷都された日を祝して餅を供する神事です。
その年の当番に選はれた若者12 名が、12日の早朝から威勢の良い「迹王の餅の唄」をうたいながら町を練り歩き、夕方まで一日かかって全ての当番宅から餅を集め岡太神社に献上します。翌13日早朝に岡太神社で餅が配られます。この日は小学生は早く帰宅できるのでいっそう楽しみにしています。
さらに14日まで、神輿や神楽「浦安の舞」、「越前権兵衛太鼓」などさまざまな催しが例祭を盛り上げます。
福井県内で最も古い公園です。
明治28年の台風で岡太神社本殿背後が山崩れになった際に桜を植林したのが初期の公園の姿。大正時代に神社境内地と公園が分けられ、継体天皇に由来する世阿弥の謡曲「花筐(はながたみ)」にちなんで、「花筐公園」と呼ばれるようになりました。現在も岡太神社から続く広大な自然公園として四季を通じて美しい草花や自然を楽しむことができ、高台まで上ると粟田部の町が一望でき、さらに上に上ると展望台もあります。
公園西北側山中には樹齢800年と言われる天然記念物で、謡曲「花筐」にうたわれているゆかりの桜「薄墨(うすずみ)桜」があります。園内には他に約1000本の桜が植えられていて、春の頃には多くの観光客で賑わいます。
しかし地元民に最も愛されているのは、春よりも秋の鮮やかな紅葉です。濃淡色とりどりに燃えるもみじが彩る山道は一見の価値があります。11月中旬には「花筐(はながたみ)もみじまつり」も行われます。
岡太神社社務所/〒915-0242 福井県越前市粟田部町19−2
JRでお越しの場合
タクシー:武生駅から約10分、鯖江駅から約15分
バス:武生駅から福鉄バス「花筐公園口」下車徒歩5分
車でお越しの場合
武生ICから約8分、鯖江ICから約10分
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